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ポルシェの魅力について





ポルシェの魅力


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ポルシェの歴史

1931年フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)を設計したフェルナント・ポルシェによりデザイン事務所として設立
1948年2代目フェリー・ポルシェによって自動車を製造販売する自動車メーカーとなった。
一般的な乗用車のみならずエレファント重駆逐戦車やアポロ計画で使用された月面探査自動車(ルナビークル)がアポロ15号、16号、17号と3度のミッションに採用されている。
2005年頃よりフォルクスワーゲン株を取得、2008年には持ち株比率が43%にまで達したが資金繰りに行き詰まり
逆にフォルクスワーゲンがポルシェの全ての株式を取得して現在ではフォルクスワーゲンの完全子会社となっている。
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フォルクスワーゲン・ビートル

エンブレム

跳ね馬のエンブレムといえばイタリアのフェラーリを思い浮かべる方が多いでしょう。
ポルシェの跳ね馬との意外な繋がりを知ることができました。
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時はさかのぼり1923年フェラーリ創始者エンツォ・フェラーリは自動車レースで勝ちまくっていました。
このレースを見ていた伯爵夫人がその勇猛果敢な走りに感動して、自分の息子の跳ね馬のマークをマシンに付けたらどうかと申し出たそうです。
この息子はイタリア空軍で「撃墜王」の異名を取るほどのエースパイロットで国民的英雄でした。
そして彼の所属する部隊のマークが跳ね馬のマークだったのです。
奇しくもエンツォ・フェラーリの兄がこの部隊の作戦に関わっており、この申し出を採用する事となったそうです。
この部隊のマークが跳ね馬になった経緯が運命のカギとなっていて、イタリア空軍「撃墜王」が撃墜したドイツ軍機が付けていたマークを付けていたのです。
そのドイツ軍機に乗っていたパイロットが、ポルシェの生まれたドイツ・シュツットガルト市出身で、その紋章だったのです。
つまり、ポルシェの跳ね馬とフェラーリの跳ね馬の元となっているのはどちらもドイツ・シュツットガルト市の紋章だったのです。
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デザインが秀逸


ポルシェのデザインのなんと美しいことか
車といえば男らしいスパルタンなものもカッコいいですが、このフォルムはまさにポルシェ。
女性のウエストを彷彿とさせる滑らかでふくよかでいて、その心臓には水平対向エンジンが置かれ独特なエンジンサウンドを奏でる。
ヤバイ、想像しただけで狂おしい。
デザインは3代目となるフェルナント・アレクサンダー・ポルシェ
中でも、これから評価が高くなるであろうポルシェ914からは目が離せない。
こちらは開発チームデザイン担当ハインリッヒ・クリエ

ポルシェ911


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ポルシェ914

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フォルクスワーゲンとの共同開発により不遇なポルシェとなっている。
しかしながら、その実力はポルシェそのもの。妥協無く作り込まれていて当時の最高傑作ではないだろうか。
しかも、パーツの供給をフォルクスワーゲンと行う事によりコスパ最高。大衆スポーツカーとして完成されているのではないだろうか?